性研究会議とジョジョの奇妙な冒険
先週末、財団法人日本性教育協会なるところが主催する第54回日本=性研究会議なるものに出かけてきました。そんな団体があるなんて寡聞にして知りませんでしたですわ。
プログラムのお題は「腐女子文化のセクシュアリティ」!
主催者側いわく、いつもは数十人の参加者らしいんですが、今回はこのお題のせいで百五十人近い参加申し込みがあったそうな。私もその一人でありました。
現役やおい愛好家などとはとても胸をはって言えない、最近のやおい・BLにはとんと疎いわたくしですが、思春期にはやおいで生き延びてきたものですから(当時は攻めとか受けとかいう言葉はまだ無かった。同人誌の世界ではどうだったか知りませんが。)。ある意味、原点。摂食障害よりも原点。
今のところほとんど症状がないけれど、「過去のこと」として切り捨てたり卒業するのではなく、ものすごく興味を持ち続けているという点では私にとっては両者は共通してるかも。
同じ日に横浜で開催されたビッグブックやら12ステップやらについての集会を蹴って、こちらを選んだ行った甲斐がありました。そちらも面白かったらしいんだけど、でもまあしょうがない。
参加費千円は安かったと思う。ペットボトル一本もついてたし。←こういう細かい所にやられる貧乏性人間。
プログラムをコピペしてみますと、
座長/加藤秀一(明治学院大学教授) (1)〈やおい・BL〉の魅力とは何か?〜若き女子たちの「愛と性の教養書」〜 斎藤みつ(やおい小説研究) (2)女性のマスタベーションとBL 守如子(関西大学社会学部専任講師) (3)「BLすること」と「社会的なもの」の間で 石田仁(国際基督教大学ほか非常勤講師) (4)やおいパロディにおける腐女子の規範と可能性 金田淳子(法政大学非常勤講師) 〈ディスカッション〉腐女子文化のセクシュアリティ 上記5名
以上。
内容は、斎藤さんが、初心者にもわかる「やおい」、やおいとはこういう世界なんですよ的紹介を歴史もまじえつつ説明。
「身長の法則」という言葉が出てきて、すごく納得。確かに必ず受けは攻めより身長が低い!というか、べつに必要ないのに必ずそのキャラの身長についての記述がある!身長はものすごく重要らしい。
といっても何事にも例外があるわけで、私の好むタイプの作品は攻めと受けで身長が逆転していたり同じ身長だったりするものが多かったなあと思う。だいたい私は男っぽい攻めと女っぽい受けのカップリングにはあまり興味がないほうなのだった。
やおいの功罪といいますか。現実問題、やおいが若い女子が初めて接するエロ本的メディアとなりがちな今、「自分が女の立場にならずに安全に愛とセックスの理想の具現化を味わえる」ものでもあるが、「既存の愛と性のパターン化の刷り込み」にもなっているのではあるまいか、みたいな、まあいい意味でオーソドックスな講義をされていた気がします。
守さんのお話では、普通のポルノ(つまりヘテロ男向けポルノ)では女(受け)の顔や体ばかりが描写されている。男(攻め)の顔は興をそぐとされているのか、っていうか自分が男視点で楽しむためには男の顔や体は邪魔、他の男なんて見たくねーよ的ものがあるんでしょうか、視点の固定化がなされておりますが、やおいでは攻めと受け両方の顔が描写されているのです。攻めがイク顔が描写されているということは、攻めが受けにイカされている、つまりは受けの攻め性が描かれているということで、性行為の対等性が描かれているのではないか。とかとか。
やおい漫画ではやたらとキャラの心情を説明するモノローグが多くて、これはつまり「どんだけこのシーンが暴力的に見えてもこれは暴力じゃないんだよ愛の行為なんだよ」ということを示し読者が安心して楽しむことができるようにさせるためのものではないかとかとか。
しかし、つくづく学者さんは大変やなーと嘆息いたしましたね。大量のやおい漫画やレディコミのセックスシーンのページ数をいちいち数えて、総ページ数に対する割合を数値で示したり!(ご本人も、「やってて非常に虚しくなる行為です」とおっしゃっておられた。)
よかった、私、学者じゃなくて。
石田さんは、悪役を買って出て(?)、やおい作品に満ちているゲイ差別表現、やおいの男性同性愛者に対する差別を糾弾。
確かに、やおいの基本(もちろん、例外、多々あり。特に最近は。)は「俺はゲイじゃないのに、まともな俺が男を好きになってしまった…(苦悩)。」なんですよね。
なぜそこで「男を好きになってしまったということは俺はゲイだったのか!」にならないかというと、「対象外の男であるにも関わらず、こいつを好きになってしまった。そんなにも、性の垣根を越えてしまうほど特別にこいつが好きなんだ!」というのが表現したいことだから。
しかしやおいってのは何故にこう差別に満ちたジャンルなのでしょう。ホモ差別はもとより、女性差別も相当だし。
作者がキャラの男をムリヤリ女にしてしまうということに欲望を見いだすのか。(というか私がそういうタイプのものが好きということは、私自身が「ムリヤリ女にされている感覚」をずっと抱いてきたからかもしれないけれど。)
それとも、愛とは差別だからか。
いくらでも答えはひねり出せそうな気はいたします。
余談ですが、ディスカッションでこの方、記号化された攻め受けの極北として、最近は将棋の盤面に見られる攻め受けに萌えるんです(好みのパターンは銀と香車が…らしい)と力説されていて、その変態っぷりが大変に魅力的でした。
わかるわかるよ、なんかすっごくわかります、それ!
金田さんは…と書こうとして、なんかもう疲れたのでやめた。エネルギー切れ。というか飽きた。
いやとにかく面白かったんです。面白すぎる話がてんこもりで、書き尽くせませんて。
それにしてもいくらテーマがテーマとはいえ、発表者の皆さまが芸達者で驚きました。とても学術会議とは思えない会場の沸きっぷりでございました。
唐突に思い出したんですが、どこかの精神科のお医者さんが最近、論文で、「患者は自らのことを『腐女子』と称し」というふうに書いてたのを見たのですが、どうも文脈からするとこのお医者さんは腐女子の意味そのものをわかっていない可能性がものすごく高そうだったのですが、真相はどうだったのだろう。そしてわかっていなかったとして、彼が真実を知るのはいつになるのだろう……。
閑話休題。
えと、とにかく面白かったんです。
ポルノグラフィには力の落差が本当に不可欠なんだろうか?将来も?
いやでも力の落差(権力関係)の有無と、権力の濫用とはまたべつの話やで、と思うし。
とかまあめちゃくちゃいろいろ触発されましたが、一番嬉しかったのはこういう場があってそれに参加できたということ。NABAのワークショップと同じですね、私にとっては。
そうそう、この記事のタイトルになぜジョジョが入っているかというと、今回の発表者の金田さんが雑誌『ユリイカ』の荒木飛呂彦特集で斎藤環氏と鼎談したご縁かららしく、会場に荒木飛呂彦さんがいた!のでした。私の座っていた数列前にいたんですよー、ジョジョの作者がっ!と超興奮。
一気にファンになってしまいました。私、ジョジョはちゃんと読んだことのないオタクの風上にもおけない奴ですが(でも『バオー来訪者』は連載時に読んで覚えてます!)、さっそくその日の夜に泊まった漫画喫茶でジョジョ祭りを開催。ジョジョを最初の一巻から拝読させていただきました。時間切れで三巻までしか読めなかったけど。すげーすげーすげー面白いじゃあないか!
興奮のあまり「!」マークが多くなってしまうのでした。
最新刊までの長い道程が嬉しいですね。ほくほく。まだまだ未読巻が山のようにあるぜ。どうだ、羨ましいだろう。
でも、嬉しかったのって、「女こどもが夢中になるようなまったくもってくだらないもの(と世間で思われているもの)」に対して、まともなおとなの男性(荒木飛呂彦だとか。いや、まともなおとなの男性なのかどうかは知りませんが、優れた表現者だとは思う。)というのは妙な偏見や思い入れを持つでもなく過剰に嫌悪するでもなく、素直にまともに向き合えるのだということを見られたことだなぁと思う。
世の中、そう捨てたものじゃないらしい。私の男性不信と女性不信がまた少し和らぎました。
注1:やおいだとかBLだとか、人によっていろいろ細かい定義はあると思いますが、っていうかあるらしいです。他人のことは私はよく知りません。一般的には、主に女性が生産して女性が消費する男性同性愛フィクション、という定義なんじゃないでしょうか。あくまで、一般的には。 注2:これはべつにレポートではなく、私個人のいいかげんな記憶をもとにして書いたので、誰がどう言ったとかはたぶん正確ではないです。
結論。
ジョジョですよジョジョ。あしたのジョーも読まねば(これは今回のシンポジウムとは関係ないですが)。
やりたいこと、ありすぎ。でもどうせすぐ無気力の海に沈みこむことは予想されるので、そこをどうやり過ごすかだな。
2008/12/06(土) 11:51:15
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プログラムのお題は「腐女子文化のセクシュアリティ」!
主催者側いわく、いつもは数十人の参加者らしいんですが、今回はこのお題のせいで百五十人近い参加申し込みがあったそうな。私もその一人でありました。
現役やおい愛好家などとはとても胸をはって言えない、最近のやおい・BLにはとんと疎いわたくしですが、思春期にはやおいで生き延びてきたものですから(当時は攻めとか受けとかいう言葉はまだ無かった。同人誌の世界ではどうだったか知りませんが。)。ある意味、原点。摂食障害よりも原点。
今のところほとんど症状がないけれど、「過去のこと」として切り捨てたり卒業するのではなく、ものすごく興味を持ち続けているという点では私にとっては両者は共通してるかも。
同じ日に横浜で開催されたビッグブックやら12ステップやらについての集会を蹴って、こちらを選んだ行った甲斐がありました。そちらも面白かったらしいんだけど、でもまあしょうがない。
参加費千円は安かったと思う。ペットボトル一本もついてたし。←こういう細かい所にやられる貧乏性人間。
プログラムをコピペしてみますと、
座長/加藤秀一(明治学院大学教授) (1)〈やおい・BL〉の魅力とは何か?〜若き女子たちの「愛と性の教養書」〜 斎藤みつ(やおい小説研究) (2)女性のマスタベーションとBL 守如子(関西大学社会学部専任講師) (3)「BLすること」と「社会的なもの」の間で 石田仁(国際基督教大学ほか非常勤講師) (4)やおいパロディにおける腐女子の規範と可能性 金田淳子(法政大学非常勤講師) 〈ディスカッション〉腐女子文化のセクシュアリティ 上記5名
以上。
内容は、斎藤さんが、初心者にもわかる「やおい」、やおいとはこういう世界なんですよ的紹介を歴史もまじえつつ説明。
「身長の法則」という言葉が出てきて、すごく納得。確かに必ず受けは攻めより身長が低い!というか、べつに必要ないのに必ずそのキャラの身長についての記述がある!身長はものすごく重要らしい。
といっても何事にも例外があるわけで、私の好むタイプの作品は攻めと受けで身長が逆転していたり同じ身長だったりするものが多かったなあと思う。だいたい私は男っぽい攻めと女っぽい受けのカップリングにはあまり興味がないほうなのだった。
やおいの功罪といいますか。現実問題、やおいが若い女子が初めて接するエロ本的メディアとなりがちな今、「自分が女の立場にならずに安全に愛とセックスの理想の具現化を味わえる」ものでもあるが、「既存の愛と性のパターン化の刷り込み」にもなっているのではあるまいか、みたいな、まあいい意味でオーソドックスな講義をされていた気がします。
守さんのお話では、普通のポルノ(つまりヘテロ男向けポルノ)では女(受け)の顔や体ばかりが描写されている。男(攻め)の顔は興をそぐとされているのか、っていうか自分が男視点で楽しむためには男の顔や体は邪魔、他の男なんて見たくねーよ的ものがあるんでしょうか、視点の固定化がなされておりますが、やおいでは攻めと受け両方の顔が描写されているのです。攻めがイク顔が描写されているということは、攻めが受けにイカされている、つまりは受けの攻め性が描かれているということで、性行為の対等性が描かれているのではないか。とかとか。
やおい漫画ではやたらとキャラの心情を説明するモノローグが多くて、これはつまり「どんだけこのシーンが暴力的に見えてもこれは暴力じゃないんだよ愛の行為なんだよ」ということを示し読者が安心して楽しむことができるようにさせるためのものではないかとかとか。
しかし、つくづく学者さんは大変やなーと嘆息いたしましたね。大量のやおい漫画やレディコミのセックスシーンのページ数をいちいち数えて、総ページ数に対する割合を数値で示したり!(ご本人も、「やってて非常に虚しくなる行為です」とおっしゃっておられた。)
よかった、私、学者じゃなくて。
石田さんは、悪役を買って出て(?)、やおい作品に満ちているゲイ差別表現、やおいの男性同性愛者に対する差別を糾弾。
確かに、やおいの基本(もちろん、例外、多々あり。特に最近は。)は「俺はゲイじゃないのに、まともな俺が男を好きになってしまった…(苦悩)。」なんですよね。
なぜそこで「男を好きになってしまったということは俺はゲイだったのか!」にならないかというと、「対象外の男であるにも関わらず、こいつを好きになってしまった。そんなにも、性の垣根を越えてしまうほど特別にこいつが好きなんだ!」というのが表現したいことだから。
しかしやおいってのは何故にこう差別に満ちたジャンルなのでしょう。ホモ差別はもとより、女性差別も相当だし。
作者がキャラの男をムリヤリ女にしてしまうということに欲望を見いだすのか。(というか私がそういうタイプのものが好きということは、私自身が「ムリヤリ女にされている感覚」をずっと抱いてきたからかもしれないけれど。)
それとも、愛とは差別だからか。
いくらでも答えはひねり出せそうな気はいたします。
余談ですが、ディスカッションでこの方、記号化された攻め受けの極北として、最近は将棋の盤面に見られる攻め受けに萌えるんです(好みのパターンは銀と香車が…らしい)と力説されていて、その変態っぷりが大変に魅力的でした。
わかるわかるよ、なんかすっごくわかります、それ!
金田さんは…と書こうとして、なんかもう疲れたのでやめた。エネルギー切れ。というか飽きた。
いやとにかく面白かったんです。面白すぎる話がてんこもりで、書き尽くせませんて。
それにしてもいくらテーマがテーマとはいえ、発表者の皆さまが芸達者で驚きました。とても学術会議とは思えない会場の沸きっぷりでございました。
唐突に思い出したんですが、どこかの精神科のお医者さんが最近、論文で、「患者は自らのことを『腐女子』と称し」というふうに書いてたのを見たのですが、どうも文脈からするとこのお医者さんは腐女子の意味そのものをわかっていない可能性がものすごく高そうだったのですが、真相はどうだったのだろう。そしてわかっていなかったとして、彼が真実を知るのはいつになるのだろう……。
閑話休題。
えと、とにかく面白かったんです。
ポルノグラフィには力の落差が本当に不可欠なんだろうか?将来も?
いやでも力の落差(権力関係)の有無と、権力の濫用とはまたべつの話やで、と思うし。
とかまあめちゃくちゃいろいろ触発されましたが、一番嬉しかったのはこういう場があってそれに参加できたということ。NABAのワークショップと同じですね、私にとっては。
そうそう、この記事のタイトルになぜジョジョが入っているかというと、今回の発表者の金田さんが雑誌『ユリイカ』の荒木飛呂彦特集で斎藤環氏と鼎談したご縁かららしく、会場に荒木飛呂彦さんがいた!のでした。私の座っていた数列前にいたんですよー、ジョジョの作者がっ!と超興奮。
一気にファンになってしまいました。私、ジョジョはちゃんと読んだことのないオタクの風上にもおけない奴ですが(でも『バオー来訪者』は連載時に読んで覚えてます!)、さっそくその日の夜に泊まった漫画喫茶でジョジョ祭りを開催。ジョジョを最初の一巻から拝読させていただきました。時間切れで三巻までしか読めなかったけど。すげーすげーすげー面白いじゃあないか!
興奮のあまり「!」マークが多くなってしまうのでした。
最新刊までの長い道程が嬉しいですね。ほくほく。まだまだ未読巻が山のようにあるぜ。どうだ、羨ましいだろう。
でも、嬉しかったのって、「女こどもが夢中になるようなまったくもってくだらないもの(と世間で思われているもの)」に対して、まともなおとなの男性(荒木飛呂彦だとか。いや、まともなおとなの男性なのかどうかは知りませんが、優れた表現者だとは思う。)というのは妙な偏見や思い入れを持つでもなく過剰に嫌悪するでもなく、素直にまともに向き合えるのだということを見られたことだなぁと思う。
世の中、そう捨てたものじゃないらしい。私の男性不信と女性不信がまた少し和らぎました。
注1:やおいだとかBLだとか、人によっていろいろ細かい定義はあると思いますが、っていうかあるらしいです。他人のことは私はよく知りません。一般的には、主に女性が生産して女性が消費する男性同性愛フィクション、という定義なんじゃないでしょうか。あくまで、一般的には。 注2:これはべつにレポートではなく、私個人のいいかげんな記憶をもとにして書いたので、誰がどう言ったとかはたぶん正確ではないです。
結論。
ジョジョですよジョジョ。あしたのジョーも読まねば(これは今回のシンポジウムとは関係ないですが)。
やりたいこと、ありすぎ。でもどうせすぐ無気力の海に沈みこむことは予想されるので、そこをどうやり過ごすかだな。
コメント
バオーか、懐かしい。魔少年BTとかもありましたな。
- 2008/12/06(土) 23:24:37 |
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- 毘 #-
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>毘氏
バオーにビーティ(汗)
うわ、とてつもないオールドタイマーがここに。今ちょっと「東京オリンピックかぁ、懐かしいね」って言われたぐらいの気持ちです。(今まで世代のギャップを感じたことなかったのに…)
バオーにビーティ(汗)
うわ、とてつもないオールドタイマーがここに。今ちょっと「東京オリンピックかぁ、懐かしいね」って言われたぐらいの気持ちです。(今まで世代のギャップを感じたことなかったのに…)
- 2009/01/30(金) 23:15:16 |
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- ばるぶしー #-
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